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2017年8月24日 (木)

私はかの地かの作戦を傍らで携わった。

彼らの行為には否定も肯定もする権利は私には無い見たこと感じた事を書くと
日本の警察や消防(消防団被災地の含む)陸海空の自衛隊(事務官、技官、予備自等また、その他役務の民間人や団体含む)や全ての当時者だけが自国で携わったわけではない。それも称賛に値するが
フクシマ50を誰しもが覚えているのだろうか。あれは決死隊らしいが、私は申し訳ないが、フクシマ50の名前しかわからない。会ったこともその後を知らない。
また、原発には多くの関連会社の社員、裾野は広く全く関わりがないような飲食店や宿屋やスタンドやコンビニですら当時国難の為犠牲を払っている。
多くの人が未だ帰宅や復帰もままならい人もいる大変痛ましい事だ。
米軍、豪軍の支援や各国台湾を含む世界の国と地域、個人の支援は改めて御礼をしたいと思う。
しかしながら、義務であれ命令であれ志願であれ誰もなし得ない我が国の国難の対処に払った自己犠牲にどれだけの敬意と慰めと謝意と保証を示しただろうか。
恐らく日本人ひいては被災地のなかでも風化と犠牲を受けていればそれは全く受け入れることは出来ないのだろう。
私もどんなにか教訓を生かそうとしたか、どうしたら教訓(それを伝えられるか、その鉄を踏まないか)考えて実践したけども未だになんらなく風化を見ている。
もし、このニュースをみている人にはある人は嫌悪感を、ある人は憎悪を、ある人は責任の転嫁を、ある人は擁護を、ある人は同情を、ある人は称賛や批判の気持ちを抱くのだと思う。
1つ私が覚えているのは米海兵隊はとても士気が高く勇敢で汗を流しました。中には涙を流す人も怪我や気に病む人もいました。
寒く、情報も乏しく、食事も温かいものも、ジャンパーも最初はないなか自己犠牲を払いその姿に多くの人が各々考えをもったと思います。
3月24日の読売新聞を和訳して彼等も良かった。と言い、まだまだやらなければならないがと悔し涙を飲んだりと
私が当時知り合った海兵は当時を今でも懺悔していました(彼の信仰なりに)。
私も自分自身の職務を通したことです。
今でも当時のことは脳裏に焼き付き、その行動1つ悔いと悩みに繋がれています。
もし、常識で当たるならば、このニュースは沢山の否定的或いは他責的な風潮に満ちるでしょう。
1つだけ提言できるとしたら、勲章や表彰を今でも遅くは無いので無名の勇士に授与出来ないものだろうか。
それは何もトモダチ作戦には限らず、当時自己犠牲を払い国難に向き合った人に授与され、語られ、振り返らなければ、この問題の理解は進むことはないので、それが断片的に歪みなんら報われることは無いのだろうと私は個人的に思っています。(様々な意見もあろうと思います。ただ、当時自分もそこにいてその後を知り悩んだ6年の中で思った事を書かせていただきました。悪しからず)
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